2012年12月
専務理事 浦山 隆雄
子どもの頃、よく病院のお世話になった。
風邪をひいて熱が高ければ解熱剤の筋肉内注射、症状がそれほどひどくないときには粉薬が出て、薬包紙に包まれていた。小学校低学年の頃、一つ一つきれいに畳まれた薬包紙を見て、どのように畳まれているのかと思い、そっと開けて薬を飲み、そっと畳み直し、あとでそれを開いたり閉じたりしながら、畳み方を覚えた。後年薬剤師になるなど思いもよらなかった頃から、私は自己流ながら薬包紙を畳むことができた。もう50年近くも前のことだから、その頃の大多数の薬剤師の仕事の大部分は、このように、薬を調剤し、薬包紙に包んで患者に渡すというものだったろうし、一般の人の薬剤師の認識もその程度のものだったろう。
今から15年ほど前、厚生労働省の国立病院部(当時)に勤務したことがある。その頃の国立病院・療養所は、医薬分業を積極的に進めているときで、国立病院・療養所全体での分業率が6割を超えた頃ではなかったかと思う。3年間の在籍中に9割くらいまで分業が進展し、それとともに、病棟における服薬指導業務を取り入れ、また、治験の推進にも力を入れた。薬剤師の仕事は、調剤だけではなく、多くの業務があることを実際に示していける時代になったと思ったものである。
今、多くの先人の努力のおかげで、薬剤師の業務は広がり、制度的な支えもできてきた。そして、六年制薬剤師が今春誕生した。医療の担い手としての薬剤師に必要な事項を学ぶためには、6年間の教育が不可欠と判断されての、拡充である。六年制薬剤師への期待は大きい。しかし、教えられたことだけを覚えて、実行すれば、十分というわけではない。教えられることには限界がある。教えられたことを基礎に、自ら学び、自ら拡充に努めなければ、真の専門家とはいえない。そういう意味では、四年制薬剤師も六年制薬剤師も変わるところはない。
薬包紙の畳み方ならば、自己流でも何とかなったろう。しかし、薬学の分野で体系的な知識や技術を得るには、何らかの形で先人の教えを受ける必要がある。今は幸いにも、研修環境は充実し、教えを受ける方法はたくさんある。自分に適したものを選んで、自ら学び、真に医療の担い手としての役目を果たすときと思う。