2014年5月
元日本薬剤師会会長 佐谷圭一(アスカ薬局)
昭和36年(1961)明治薬科大学を卒業し都内の薬局へ勤めた。勤務薬剤師といえば格好いいが、今風にいえば薬局実習生だ。そこで2年間勤めたあと、昭和38年に練馬で開局。現場で痛感したのは医学知識の欠如である。早速、薬局薬剤師の仲間を誘って、「一般医学研究会」なるものを立ち上げた。幸いにも仲間の従弟が、T大病院の眼科の医師だったので、そのつてを辿って各科の若手医師から講義を受けた。目的は医師から見た薬局治療(軽医療)の限界点を指摘してもらうことにあったが、そのことは取りも直さず一般薬の限界を知ることにもなった。 次いで、医薬分業の足音が聞こえてきた昭和40年代半ば、「医療用医薬品研究会」を設立し、大手メーカーの学術部から講師を派遣してもらった。その会で聴講した内容は、非分業下の薬局薬剤師にとっては実に新鮮なもので驚きの連続だった。
また、30歳の頃、漢方を勉学するため荒木卜庵先生に師事。傷寒論、金匱要略を輪読するのに3年の月日が流れた。その事を考えると、今の薬剤師諸兄姉は実に恵まれている。当センターのcurriculumには、それらの全てが網羅されているからだ。
しかるに、40歳の時、家庭問題で行き詰った。どこへ持って行っても解決がつかず、結局は寺に籠った。僧分から最初に教えられたのが「修身・斉家・治国・平天下」である。35歳にして日薬の常務理事となった若輩者がいきなり天下に駈け出して、有頂天から転げ落ちたのだ。「家庭を整えるためにも自己の修身からやり直せ!」という厳しい指摘を受けた。
この時覚醒した後、人間学に興味を持った。 仏教や儒学の教えは身に染みる。薬剤師にも人間学は必要だ。当センターが近い将来、「薬剤師の人間学」をcurriculumに加えることを期待したい。
日本薬剤師研修センターは創立25周年を迎える。私が開局してから半世紀が経つ。年齢もいつの間にかthree quarters of a century となった。